大澤芸術のさらなる評価を
大澤鉦一郎は、大正期の東海画壇を代表する画家である。岸田劉生らによる草土社名古屋展が1917年(大正6年)に開催されると、ただちに宮脇晴らまだ十代の若者6名をさそって「愛美社」を結成。約6年後に解散するまでに同展を3回開催した。
大澤先生の作品は、地元愛知県内だけでなく東京国立近代美術館も所蔵している。そしてその常設展で、私の知る限りこの十数年間で、劉生のとなりに二度展示された。その期間中、学芸係に問い合わせがしばしばあったとのこと。全国的な知名度と作品の持つ力が、大澤先生ほど乖離する例はないのではないか。
先年、愛知県美術館を訪れたドイツのある美術館長が、大澤作品と劉生作品をくらべて大澤先生の方をよしとしたという。劉生あっての大澤芸術という面が確かにあるものの、そういう見方は十二分に成り立ちうる。
「国」や「外国」に大澤芸術評価で先を越されてはなるまいと思う。思いがけなく入手できた本作品をながめながら、大澤芸術のさらなる評価にむけて、私ごときにも地元として何かできることはないかと思いを巡らせている。
*本運動が成功していくことに、私たち日本人の文化度がかかっていると信じます。
名古屋画廊社長 中山 真一
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