そんな訳でこの度『北御牧アートだより』に連載の「船川未乾論」に一様のケリをつけ(かなり無理な終わり方になってしまいましたが)『我談画弾』に参加させていただきます。
いろいろ考えたのですが一つのテーマに絞ることは私の場合マズ不可能なのです。長引く景気の低迷、売上不振の零細企業に勤務する私としてはなかなか落ち着いて考え事をする時間がとれないのです。
深夜の帰宅、そして就寝までの僅かの時間を利用して、美術古書に埋もれた部屋にこもることでやっと自分を取り戻すことができるという状況なのであります。
「気まぐれ美術史(誌)ノート」というタイトルについても説明が必要でしょう。
もちろん洲之内さんの『気まぐれ美術館』を使わせていただいています、そしてすでに私自身『本の都』(東京神保町古書店街のタウン誌)誌上に8・9年ほど前になりますが、同様のタイトルで連載しておりました。それは30回ほど続けたのですが、その後九州の湯布院にある個人美術館の月報に「画中遊泳法」というタイトルの美術雑文を連載することになり中断していたのです。
晩年の洲之内さんの周辺に居て『気まぐれ美術館』に自由に出入りさせていただいた私としては、とても気に入っているタイトルなので今回復活させていただきたいのです。
思いついたことをその都度メモするスタイルで続けさせてください。
メモ(1)
画家青山義雄が苦労して渡欧の資金500円を作り船出したときの事です。国内寄港地の神戸で下船し、知人友人らと今生の別れの宴を張り、酔眼朦朧として港に戻って見たところ、ナント出航の時刻を間違えていたのです。
既に汽船は岸壁を離れつつあり、最後のとも綱が今目の前をすべっていくのであります、その時青山義雄、沈着冷静少しも騒がずターザンよろしくロープに飛びつき船腹をよじ登ったそうです。
青山義雄は渡欧する前、北海道の根室周辺で過ごし、様々のアルバイトを経験しているのだが、中でも牧場での牧夫は長かった様である。原野を裸馬に飛び乗り駆け回るなどしていたのでしょう、だからとも綱に飛びつきよじ登るなど朝飯前の事なのさ。
1925年頃の作品を見ると幻想感漂う不思議な風景の中に赤や黄色の牛や馬が居るではありませんか。
メモ(2)
1995年に茨城県近代美術館で開催された「青山義雄展」の図録を見て居るのだが、この図録めっぽう面白い、イヤ絵より年譜の方がである。
回顧展の度の加筆修正は当然だが、御本人100歳を越えてもなお現役の画家であり抜群の記憶力の持ち主でもあったと聞く。年譜のあいだあいだには画家自らが語ったであろう事柄が記録されているのだが、パリで大杉栄と出会ったり、帰国後の住まいに虚無僧姿の辻潤が転がり込んだり、戦後の再渡欧で63歳で車の免許を取り92歳の帰国の年まで運転を続け、私生活では58歳で二度目の結婚をし、93歳で離婚する… これは老人力の勝利か。
最晩年の作品を見ても、その日本人離れした色彩感覚は衰えるどころか見事に咲き続け、黄金のバラのアーチをくぐるがごときである。
寄稿者 後藤洋明 東京都