本荘の動物画は極めて珍しく、その作域は極上であるが故に、本荘コレクターの垂涎の的であったのです。それも山羊であれば新発見です。早速作品を見に神田神保町に飛びました。実物を見るやまさしく名品です。私の知る限りでは春陽会賞をとった1940年「兎小屋」焼失、名品の誉れ高い1957年「鳩」に匹敵する本荘動物画の白眉といえるでしょう。まずは本荘発掘顕彰の大先輩であられる梅野館長に報告したところ、その返事には「本荘 赳の名品思わずあっと声を立ててしまいました。私が今まで見た本荘作品の中で最も優れたものです…。心の震えのおもむくままにしたためました」。私以上に梅野館長も驚かれた御様子でした。本荘を知る者にとってこれ以上の驚きはそうざらにはない出来事でした。
本荘は地元の小学校の教師をしながら絵を描き、春陽会会員になったのち50才で専業画家になったものの画商嫌いのため、その名はほとんど世に知られることなく、皮肉にもそのお陰で精神性の高い、画格無双の作品群を残せたわけです。本荘は三綱から図ではなく絵を教わり、鶴三から物の裏側を描く事を教わり、安田画伯の夢でもあった日本画を油彩で描くという難事を具現化したのであります。本荘作品の魅力は静隠な画面にひそむ深い観照性にあることは誰もが認めることでしょう。しかしその裏側には「画道はこれ丈夫の道」という命懸けの覚悟があることを忘れてはならないでしょう。いわゆるアーチストの氾濫する時代に、古武士のような一徹で硬骨な本荘のような画家はもう現れないかもしれません。洋画会の渡辺崋山がこの平塚から出たことは平塚市民として誇りに思っています。この作品は御遺族にも見て頂くことができ、現在平塚市美術館に資料として登録(昭和20年代後半ではないかと推測)され、今後その素性が明らかになってくると思われます。最後に、日本人が描く油彩画を高いレベルでひとつの形として完成させた功績は、洋画史上もっと評価されていいと思っています。
寄稿者 平園賢一 神奈川県