サラリーマン蒐集雑記(1)

 サラリーマン生活の傍ら、絵画を集め始めて、かれこれ15年近くなる。
 日頃の生活態度が災いして、家族の理解が得られず肩身の狭い思いをしながら、こつこつと作品を集めている。「安給サラリーマンで、家族の理解が得られないのに、作品を集めるのはなぜなのだろうか。それは、心が美を欲しているからだ。」などと自問自答しながら…。
 最初は、地元の作家の作品を個展で購入した程度だから、蒐集とまではいかなかったのだが、美術雑誌などで情報が増えるに連れて、物故作家に関心が向くようになった。そのころ物故作家の記事がよく掲載されていた「日経アート」で菅 創吉に出会い、美術研究藝林主宰梅野 隆氏へのインタビュー記事を読んで、東京京橋の美術研究藝林に伺ったのは、平成8年の7月ごろだったろうか。その後、何度か伺ううちに、藝林月報を送っていただくようになった。美術研究華藝林での1年半ほどのあいだに、主宰や来訪者の方々からいろいろなお話を伺ったり、オークションに参加させていただいたりして、蒐集に対する心がまえを学ばせていただき、本当に感謝している。
 そのあいだには、記憶に残る経験もいくつかあった。ある日、いつものように伺うと、いきなり、目に飛び込んできた作品があった。挨拶もそこそこに、その作品(水彩)にすい寄せられた私は、作品について

二、三たずねて、しばし作品に魅入っていた。その日はその作品しか目に入らず、帰りしな「この作品を譲ってもらえないか」と、恐る恐る梅野主宰に聞いてみたが、あえなく断わられてしまった。翌月届いた藝林月報に、その作品は紹介されていた。作品を譲っていただける機会も一度だけあったが、そのときは、価格を聞いて断念した。「惚れた作品は、身銭を切って買うものだ」と薫陶を受けているとはいえ、身銭を切れる値段ではなかった。
 今思うに、「美は自分で探すものだ」という主宰からのメッセージだったのではないか。蒐集の道の厳しさを示されたのではないかと思えてならない。そして、あのときの経験が、「身の丈に合った蒐集」という、自分の考えのもとになっている。
 その後、1998年梅野記念絵画館が開館し友の会に入会させていただいき、梅野館長にお願いして藝林月報のバックナンバーを送っていただいた。
 藝林月報No.63号「美を拾う」。そこには小出三郎作「赤いドレス」という作品が掲載されていた。やや緊張した横顔の女性と、深みのあるワインレッドのドレスが印象的な作品だった。
 それから、3ケ月ぐらい過ぎたころだったろうか渋谷のU画廊で、小出三郎遺作集が刊行されていたことを知った。さらに、遺作集を所蔵している方をご存知とのこと。さっそく、拝借のお願いをして、後日、コピーを撮らせていただいた。その後、拝借した遺作集の所蔵者が後藤洋明氏とお聞きして、後藤氏のご好意に感謝するとともに、氏の美術全般における関心の広さ知識の豊富さに驚嘆し、諷々とした雰囲気で「アートストーカー」と自称されている姿は仮の姿で、ほんとうは「たいへんな方なのだ」との思いを強くした。その後、神保町の汢譏Lでお会いした際、知識の一端をお頒けいただいたことを、お礼申し上げた。
 「赤いドレス」をぜひ見たいと、梅野館長にお願いして、購入された神戸市在住のK氏をご紹介いただいた。突然で申し訳ないこととお詫びしながら、「赤いドレス」についてたずねたが、すでに手元になく、現在は行方不明とのことであった。今ごろ、どこでどうしているのだろうか。ぜひ見たい作品なのだが…。
 梅野館長も認めた炯眼の持ち主K氏は、「小出芸術の真髄はデッサンにあり」と観破しておられる。梅野館長から、もうお一方、炯眼の持ち主で、神戸市在住の友の会会員三浦 徹氏をご紹介いただいたのは、今年1月のことである。三浦氏は小出三郎のデッサンについて、「デッサンの生命は線の品性である。小出三郎の線にはそれがある。これは修練のみによって培われるものではない。作家の生活環境や生きざまによって自ずと表出されるものである」と観破しておられる。炯眼のお二方が絶賛された小出三郎のデッサンを、いつか、じっくり観たいと切望しているのだが…。
 自分もどうやら、「美神の森」(無断拝借お許しください。)に入り込みはじめたのだろうか。小出三郎に出会って…。
 芸林月報は「美神の森」への招待状。その貴重な招待状を二百号も出し続けることはたいへんなことなのだと、改めて感服する次第であります。
 たいへん遅れて申し訳ありません。改めまして、二百号刊行おめでとうございます。

寄稿者 鈴木英二 栃木県