名画発見!「作業S」(通称:傘屋) 1938年 10P 油彩/キャンバス     平園賢一

蒐集の経移と作品について

 湘南とくに平塚ゆかりの画家を顕彰発掘することを主眼としている私にとって、二見利節の作品はなくてならないものです。その中でも二見の第1黄金期である昭和10年代の作品に巡り遭うことを念じていましたがその機会はなく時は流れていきました。そんな折、故高木健雄氏が二見の人物画を入手したとの連絡があり、駆け付けてみると、そこにはあの「傘屋」があったのです。この作品は昭和12年の春陽会に出品された「作業S」通称「傘屋」のバリエーションです。資料としては残っているものの図録もなく関係者の間では幻の作品でした。当時、この作品を見て帰朝した青山義雄はなぜ賞がつかないのか不思議に思ったとの感想を残しています。また当時の二見のことを木村荘八は「若くして自得の風を持つということは作家の資質にかけて識者に迎えられる条件の一つ」と評し、坂本繁二郎は「色彩のスケールが豊かで表面より寧ろ底力がある。色彩も単なる色彩のためでなく実相追求になっている。それで良く見て居る方がだんだん良くなって来る」と評し、「明日の画壇の為に二見氏が必要不可欠である」とまで絶賛しているのは何故でしょう

か。それは繁二郎も指摘しているように、当時の作家の多くは絵画の用途に重点を置いたため、絵画の根本問題である真相追求の中に自己を把握させるような困難な道を選択しなかったのに対して、二見は自信と誠実をもってその難道に真っ向から挑んでいたからなのでしょう。
 二宮町近代史という資料に「傘屋」についての貴重なコメントが残っていました。二見の友人である坂本 昇氏が書いた記事です。その中での二人のやりとりは「……横を見ると牡丹の三倍もある画があった。法被を着た傘職人が傘骨に紙を張っている絵だ。傘という奴は四角な紙を張るものなのかなというと、実は俺も見たことが無い。でも紙を四角にしないと絵にならないんだ……」。
 戦争を境に目まぐるしく画風を変化させ、アトリエから出ることもほとんどなく生活の全てを絵の創作活動に捧げ尽くした画狂人。最後に、原田 実氏(元平塚美術館長)は二見の回顧展図録の終りにこう書いています。「実相追求の画家、二見利節は絵を描くことへの執念においては旧友長谷川利行と同じように、立派に画狂人・葛飾北斎の系譜につらなる存在であったといえるでしょう」と。