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井上有一「自画像」+「書業」展 6.8(日)10:30〜12:30 井上有一展公開シンポジウム開催 石川翠(美術評論家) 釈法光(シンガポール僧侶) エティ・グラス(イスラエル博物館キュレーター) 海上雅臣(ウナックトウキョウ主宰) 司会:松井覚進(ジャーナリスト) 展覧会特製大判ポスター型図録 1000円 A1サイズ 表裏 |
| 書画と絵画の対峙に目ざめよう 海上雅臣 ウナックトウキョウ主宰 中華思想というもののふところの深さを実感したのは、十年前に、天津人民美術出版社が『井上有一書法』と題して、海外では初の有一作品集を刊行してくれた折のことだ。 毛沢東の詩友として知られる臧克家(ザンケジャ)という老詩人が、まず「貧而立」(貧ニシテ立ツ)という三字の詩を寄せた。この詞には、孔子の「三十而立」をふまえたユーモアがある。 ついで驚いたのは、書法史の碩学として知られる天津大学の王学仲が「貧!貧!貧!貧! どのように記しても記しつくせない感嘆符」という二行を含む自由詩を発表したことだ。 その本の出版記念展会場に、両腕を娘姉妹の肩に寄せとぼとぼと現れた一老人が、「わからん!だが気にかかる」、とつぶやきながら、一点づつていねいに見て廻り、しかも会期中毎日見に来たと知らされた時、まさに「書」を心から鑑賞する人の姿勢を知った。 王学仲教授が賛嘆した「貧」がきっかけとなり、三十五年の制作生涯にわたる有一のそれを、六十六点まとめた作品集を、その後に出版することを得た。 井上有一が最初に美術界に注目されたのは、よく知られているように、一九五七年サンパウロ国際展でハーバート・リードに見出され、彼が当時執筆していた『近代絵画史』の一頁に、ポロックやフランツ・クラインの作品とならんで、その時の出品作「愚徹」が、抽象表現主義の代表的作品として紹介された時だ。この本はリードの代表作として三十ヶ国近く翻訳出版されている。 が、認められたその最初の出来事よりも重要なのは、それから四十年後、「書」の源境である中国で、その国の書法家達の関心を集めたことだ。先に上げた詩はその折に寄せられたものだ。 天津で出版されたこの作品集は、当時三十歳だった一了という青年書家をも開眼させ、「井上有一によって書の尊厳さを知り、書家という存在が信頼される理由を知った」と叫ばしめた。 文字がないので図解が主となり、絵画を育てた西欧の人々に、感動の声をあげさせたそれは、西洋の人の声にひかれて、有一書に注目するようになった東洋の人々の、文字への親密な共感から、さらに感動の正体が解明されるところまで来た。 有一没後二、三十年もたってのことだが、内容への理解がともなうだけ、中国の人々の有一書への反響は大きかった。今後それがどこまで発展するか、今や楽しみとなってきた。 そういう時期、浅間山を遠望するさわやかな高原に立つ、梅野記念絵画館十周年記念展として、近代絵画のシンボルともいえる自画像に、「書と共にある」その人の忍苦の形相を掲げ、書画の本質を生かし、絵画にリアライズされたものとなったそれを、「書業」の代表作と共に展示されることを、有一に代わって喜びたい。 |
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![]() 蓮 121×166 |
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![]() 舟 126×180 |
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