
| 伊藤久三郎(いとう・きゅうざぶろう)1906〜1977 明治39年京都市下京区に生まれる。京都市立美術工芸学校卒業、さらに京都市立絵画専門学校(日本画)を卒業後、昭和3年上京、東京府馬込村(現・大田区西馬込)に移り、「一九三〇年協会洋画研究所」に通う。翌年より二科展に出品を続け16年会員となる。この間、井上覚造、萩島安二、佐野繁次郎らと「新油絵」を結成、新美術家協会会員や九室会会員としても活躍。戦争により京都へ戻り、20年、同志9名とともに行動美術協会を結成、同展の中心メンバーとして活躍した。この間、京都成安女子短期大学に勤め、京展等にも出品を続けた。昭和52年脳腫瘍にて死去。 主要文献:伊藤久三郎画集 成安女子短期大学綜合芸術研究所 1980.2 美神の森にて 「前衛の先駆者一伊藤久三郎」 梅野 隆著 西田書店 1992.12 伊藤久三郎展一透明なる叙情と幻想 0美術館1995.2 |
油彩 キャンバス |
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コレクションの想い出
私がはじめて伊藤久三郎の作品に出会ったのは、昭和61年(1986)秋、京都行動美術協会主催の伊谷賢蔵、伊藤久三郎、飯田清毅展を見てからである。私は彼の昭和10年代のシュール傾向の作品を知って、一度現物を見たいと日帰りで京都まで出かけたのであった。
会場で眼をみはったのは、一作一作異なる変化に富んだ作風と、一目で感じとれる品格の高さと清冽な色彩であった。“これは”と一時茫然としたことを覚えている。伊谷や飯田の作品もひとかどのものであったが、伊藤の作品群は一頭地をぬいているように思えた。
ご遺族より絵をまとめて頂くこととし、藝林で遺作展を開いたのが昭和62年(1987)4月のことである。東京では生前没後を通して初の伊藤展を開催したこととなる。それ以降平成元年(1989)5月、平成2年(1990)8月、平成3年(1991)2月と遺作展を開催し、伊藤芸術の顕彰につとめてきた。大川美術館、相沢美術館にも収蔵展示され、伊藤の真価が問われつつあったが、平成7年(1995)2月、O(オー)美術館に於いて、伊藤久三郎展が1ケ月間にわたり開催されたことにより、漸く伊藤芸術の実力を世に知らしめることが出来た。館長 梅野 隆
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