「早世のアーティストたち」などと謳えば、夭折した彼らの悲劇性を売り物にしているなどという見方をする輩もいるかと思うが、私は彼らのように強烈な個性と才能を持ち、未知の可能性を秘めていた作家が、時の経過とともに忘れられて行くことが惜しいと思っているだけだ。
 若さゆえ未完成な自己表現に対する苦悩や試行錯誤も、若い彼らはそれを楽しんでいるがごときである。作品は時に荒削りではあるが、それがかえって精神性をストレートに伝えていて、心底から動かされる。それぞれに描こうとした題材や制作段階、心境の変化や過程には違いはあるけれども、どの作品も無我夢中で自己をぶつけた「生きる証」であったのだろう。
 無名である彼らは、生前にしかるべき評価を与えられてよかったはずだが、本人はそんなことはどうでもよかったのかも知れぬ。
 それにしても不慮の死はどれほど無念であっただろうか。何よりも彼らの思いに触れ、少しでも多くの人に共感していただきたいと願う。この展覧会で彼らの「魂」に光をあてることができれば喜びこの上ない。開催にあたりご遺族や画友の方々、並びに所蔵先美術館の皆様にご協力を賜りました。この場を借りて御礼申し上げます
   館長 梅野 隆
平成18年10月 館長 梅野 隆




犬塚 勉(1949-1988)

登山の上級者のみが遭遇できうる自然の「美と厳しさ」の世界に魅せられ、そこにある「霊気」や「生命」を表現することで、「真の自然」と一体化することを追い続けた。精緻な写実作品は、犬塚が注ぎ込んだエネルギーの高さと精神力を物語っている。
1949年川崎市生。東京学芸大学大学院修了、小中学校教諭として赴任。「本物の感動のある絵」を追い続ける中で、次第に危険な登山を行う。1988年「水の表現」を求めた谷川岳で悪天候により遭難。享年38歳。
遺作は奥多摩町「せせらぎの里美術館」に収蔵。

2004年「稜線の風の如く 犬塚勉展」






保多棟人(1949-1988)

ある時から自宅近くにあった一本の大木「平久保の椎」を取り憑かれたように描いた。それは師からの脱却を図り、自己を模索するための対象であった。この連作や自画像には、何度も自己に問いかけ、自分を確認する過程で、自分なりの「何か」を掴みかけた保多棟人の喜びが感じられる。
1947年篆刻家・保田孝三の長男として東京で生。武蔵野美術大学で麻生三郎に師事。連作「平久保の椎」はオートバイに積載限界の60号キャンバスをくくり付けて日参して描いたもの。1981年伊豆・吉佐美で高波を受け水死。享年33歳。遺作は現在も自宅ア
トリエに遺族により大切に守られている。






四谷十三雄(1949-1988)

日々、重労働に従事しながらも「絵を描くことだけは忘れるな」と自己を奮い立たせ、激しい思いをストレートに表現した。残された作品からは理屈のない情熱がひときわ強く感じられる。まさに絵画のロックである。今の時代、これほど重厚で激しい絵を誰が描けようか。
1938年横浜市生。中学校卒業後、富士電機へ養成工として就職。横浜造形芸術研究所夜間部で学ぶ。1963年初個展の案内状を抱えて、自動車事故で死亡。初個展が遺作展となる。星野鐵之ら友人の努力により、遺作展、遺作集刊行が行われる。

悲運 早世のアーティストたち カタログ 通販OK

オールカラー48P 犬塚勉、保多棟人、四谷十三雄の珠玉作品を掲載。
犬塚夫人、水村喜一郎氏、星野鐵之の寄稿を掲載。

¥1500(送料別途\300)

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